The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

クリストファー・ラ・ファージ : メアリ・マルカイ

”人生は言ってみれば、長い一つづきの家の中の、一つづきの部屋なのかもしれない。”

 

概要

メアリ・マルカイは60歳を過ぎた独身女性。彼女は背中の痛みと金の用立てに悩まされている。蓄えはほとんどない。1929年の不況で、なけなしの貯金もなくなってしまった。だから60歳をすぎても家政婦として働きに出なければならなかった。姪の結婚には百ドルの贈り物をしたい。独り身の彼女にとって姪たちの笑顔こそが生きがいなのだろう。そう思うと、彼女がいま借りている部屋も贅沢に思えてくる。この部屋はメアリ・マルカイが安楽な余生を送るためにやっと手にいれた「ホーム」だった。

雇い主のゴア氏から電報で呼び出しが入る。背中が痛い。ゴア氏のアパートメントへ行くだけでもつらかった。でも、ゴア夫妻の前でそんなことを見せるわけにはいかなかった。彼女の代わりはいくらでもいる。「メアリ・マルカイはもう年らしい」と思われてはならない。背中の痛みを隠しながら、ゴア氏の前できびきびと家事をこなすメアリ・マルカイ。しかし疲れ果て、その日は、ゴア氏のアパートメントの使用人室に泊まることにした。敬虔なカトリック信者であるメアリ・マルカイは、その夜、神に祈る。そして決心する。借りている「ホーム」を引き払い、アパートメントの使用人室に住み込むと──ゴア夫妻が旅行で留守になる数か月間だけ。ゴア氏は「それは経済的だね」と賛成してくれた。そう、これで姪に結婚の贈り物ができる。ただ、彼女の「ホーム」は失うだろう。

 

感想その他

よい話であり、よくできた話であった。よい話なのは、結局メアリ・マルカイは「ホーム」を失わずにすんだからだ。家主のグスタフスン夫人はメアリ・マルカイを家族のように思っていて、彼女がゴア氏のアパートメントに住み込みで働いている間も、他の人に「ホーム」を貸さないことにしてくれた。これは、メアリ・マルカイの敬虔な信仰心と結びついて、よくできている(それと結びつかないと「単なる」ご都合主義になる)。奇跡は必然であった、というよりも奇跡を必然にする構成や伏線がよくできていた。

さらに、よい話以上によくできた話であると思うのは、メアリ・マルカイが、背中が痛み実は健康が優れないという事実を、雇い主であるゴア氏の前で絶対に見せまいと気力を振り絞るところが、どこかルース・レンデルの『ロウフィールド館の惨劇』を思わすからだ。レンデルの小説で家政婦が文盲という「自分の秘密」を雇い主夫妻の前で必死に隠そうとするように、メアリ・マルカイも「自分の秘密」を必死で守る。そこがサスペンスになっている。

 

データ

Christopher La Farge ’Mary Mulcahy’

浅倉久志 訳、『ニューヨーカー短篇集III』(早川書房)所収 

ちなみにクリストファー・ラ・ファージにはオリヴァー・ラ・ファージという弟がいて、やはり作家であるようだ。

 

ニューヨーカー短篇集 3

ニューヨーカー短篇集 3