The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

ヤコブス・デ・ウォラギネ : 『黄金伝説』より 使徒聖アンデレ

概要

アンデレ(Andreas)は「男、おす」を意味する andros を美しく適切に男性的に転化したものだ、と使徒聖アンデレの物語は始まる。彼が使徒に選ばれる来歴は福音書に書いてあるとおりなので、ここではキリスト昇天後のアンデレの活躍に注目したい。

まずアンデレは、マルグンディアの不信仰者らに目を抉られ牢屋で処刑を待つ聖マタイを救出する。祈りによって聖マタイの視力をも回復させる。自身も捕えられたが、主に祈ることによって、それを機にマルグンディアの人々をキリスト教に改宗させることに成功する。その後、身分の高い家の少年を弟子にし、反対する少年の両親を盲目にし(そして50日後に二人は死ぬ)、またもやその地の多くの人々を改宗させる。また、人殺しの妻が難産のためにディアナ女神にすがっているのを見て「あなたがたがこのような苦しみを受けるのは、当然のむくいです」と古い信仰を捨て、悔い改め、キリストを信仰するよう教え諭す。

こうしてアンデレは、向かう先々で、まるでオセロの石が黒から白へ一挙に返されるように、多くの人々をキリスト教へ改宗させるのだが、そういう成功事例の数々の中で、ひときわ異彩を放っているのが、美しい少年に邪な情欲を抱く母親との対決だ。キリスト教に改宗した少年は母親による性的虐待の数々をアンデレに相談する。そのことを知った少年の母親は、少年こそが彼女を暴行したのだと裁判所に訴えた。しかも母親は少年とアンデレとの共謀説を裁判官に申し立てる。少年とアンデレは捕らえられる。「なんという邪悪な女だ。自分の不純な欲望のために実の子を殺そうというのか」とアンデレは怒る。そして祈る。すると雷鳴が轟き、地震が起こる。邪な母親は稲妻に打たれ灰になる。人々は、裁判官も含め、全員がキリスト教徒になった。

そしてアンデレの物語のクライマックス。総督アイゲアテスの妻に信仰を教え、洗礼を授けたことによってアイゲアテスの怒りを買い、主と同じ「十字架の玄義」を命じられる。アンデレは喜んでそれを受け入れる。なぜ「十字架の玄義」が必要なのかを説明する。アンデレは肉体から解放されることを主に祈る。それは叶えられた。これによりアンデレは殉教者になった。

 

感想その他

アンデレが総督アイゲアテスに十字架にかけられたとき、ひたすら肉体の「余分さ」を訴えるのが興味を惹く。アンデレは肉体が重荷だと訴える。苦労してその世話をしてきたと言う。肉体という重たい衣服を脱がせてください。馴らそうにも言うことをきかない。抑えつけるのに苦労する。肉体は大きな苦痛を与える。だから大地に肉体をお返しします(死なせてください)。そうすれば、私は、もう肉体の見張りをしなくてもいいし、それによって自由になれる、と。

この「肉体の見張りをする」というのは、アンデレ殉教後の後日譚にもよく表れている。アンデレを崇敬するある司教を試そうと、悪魔が美女に変身して教会にやってくる。悪魔は巧みにじわじわと司教を誘惑していく。司教、もう少しで陥落か、というところで巡礼者が教会の門を叩く。おそらく、この巡礼者がアンデレの化身なのだろうが、面白いのは美女に変身した悪魔が巡礼者に「問題」を出して巡礼者がそれに答えるという趣向だ。しかも巡礼者の悪魔にも負けない巧みな解答によって、美女が悪魔であることを、司教に知らせる。ここ、なかなか気が利いている。なぜなら、心優しく面倒見のいいアンデレは、彼の崇敬者の「肉体の見張り」も引き受けてくれたのだろうとも読み取れるからだ。本当にこのシーンは面白く読みごたえがあった。

 

データ

『黄金伝説』(レゲンダ・アウレア)の作者ヤコブス・デ・ウォラギネは13世紀ジェノヴァ大司教ドミニコ会士。

前田敬作、今村孝 訳、平凡社 

黄金伝説 1 (平凡社ライブラリー)

黄金伝説 1 (平凡社ライブラリー)