The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

F・スコット・フィッツジェラルド : カットグラスの鉢

概要

旧石器時代があり、新石器時代があり、青銅器時代があり、そして長い年月のあとにカットグラス時代がやってきた。”

イヴリンがハロルド・パイパーと結婚すると言ったとき、カールトン・キャンビイという青年が大きなカットグラスのボウルを彼女に贈った。君と同じように硬くて、美しくて、空っぽで、中が空けてみえるようなものを、と。

そのカットグラスのボウルは、イヴリンの人生に不吉な彩りを添える。様々な不吉な色で塗りつぶす──レッド・ウォッシュ、グリーン・ウォッシュ、イエロー・ウォッシュ、ブルー・ウォッシュ、パープル・ウォッシュ、そしてピンク・ウォッシュ…。

イヴリンとフレディー・ゲドニ氏の「行き過ぎた友情」の噂が、夫のハロルドに一方的な解釈を与えてしまったのも、そのカットグラスの鉢が原因だった。夫を愛しているのに、夫を傷つけてしまった。取り返しのつかないことをしてしまった。そのことでイヴリンは痛みを含んだ沈黙や、激しい非難や詰問と闘わなければならなかった。かつて誰もが羨むような結婚をしたはずのイヴリンであったが、幸福というものを形作る一つ一つの機会が彼女からどうしようにもなく失われていくことを痛いほど知る。幸福であった頃の思い出を胸に、彼女は中年と呼ばれる域に向かう。

カットグラスのボウルは、イヴリンから彼女の大切なものをさらに次々と奪い去る。イヴリンには息子ドナルドと娘ジュリーがいた。ある日、ジュリーはカットグラスのボウルで手を切った。不注意な処置が敗血症を引き起こす。ジュリーは手首から先を切断しなければならなかった。

夫の仕事にも影響を与える。ハロルドは大事はビジネスパートナーを家に呼び、家族ぐるみの親交を結ぼうとした。彼はカットグラスのボウルでパンチを作った。が、そのボウルは大きすぎた。男たちは酒を飲みすぎた。パーティーは最悪の結果で終わった。イヴリンは財産が増えるより減る傾向にある家庭の主婦になった。そういう傾向の家庭によくあるように、イヴリンとハロルドの間には互いに敵意が見え隠れしているのを、彼女はいやでも認めなければならなかった。肉体の衰えは、自然にそのような顔つきでわかるようになる。イヴリンは46歳になっていた。

自分が障害者であることを意識しだした娘ジュリーは、学校に行くのを脅えるようになる。イヴリンは義手の使い方をジュリーにレッスンさせようとしたが、娘の惨めな顔つきを見るだけだった。

ハロルド家のメイドも一人の中年女性だけになっていた。そのメイドがたまたま偶然、イヴリン宛の手紙を食堂にあるカットグラスのボウルに入れた。手紙は陸軍省からのものだった。イヴリンは直感的にそれが意味していることを知った。息子ドナルドの戦死だった。

イヴリンはすべてを理解した。恨みのこもった贈り物の、冷ややかで悪意に満ちた美しい細工が、邪悪な煌めきを家じゅういっぱいに映し出していることを。だから彼女はすべてを終わらせようとした。硬くて美しく冷たいカットグラスのボウルを抱え、玄関へ向かう。凶々しい光線を放射するカットグラスのボウルを家の外へ投げ捨てようとした。が、その瞬間、イヴリンは足を滑らせ、バランスを崩し、冷たく硬く美しいカットグラスのボウルを抱えたまま、玄関の階段を転げ落ちる。ガラスは粉々に砕け、飛び散り、イヴリンの悲惨な死を、様々な色彩で美しく糊塗していた。

 

感想その他

かつてスコット・フィッツジェラルドの小説を読むと胸が熱くなった。同じように(同じような感じで)胸が熱くなったのはフランスの作家フランソワーズ・サガンの作品だった。この二人の小説には、夢と希望に満ちながらも、どこか儚さを知ることになる美しい男女の関係、ただし世俗的であること──すなわち異性愛のロマンスというべきものが描かれている。二人の小説の登場人物は、愛を求め、愛を失う。恋愛にも人生にも失敗することが多い。でも、二人の作者は、そういう人たちに対し、温かい。そういうところが心に残る。サガンフィッツジェラルドが描く、女性を愛する男性と男性を愛する女性との優しい関係が、僕にとって憧れにも似たものになる。

かつて柿沼瑛子氏がある傾向・系統の物語群を「わが愛しの」と謳っていたように、僕もフィッツジェラルドサガンの小説は「わが愛しの」アダムとイヴの物語なんだと告白したい。

 

データ

The Cut-glass Bowl

村上春樹 訳、『バビロンに帰る ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック2』(中央公論社)所収