The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

アンブローズ・ビアス : 哲学者パーカー・アダソン

概要

捕虜君、と南軍のクレイバリング将軍が呼んだ北軍のスパイはパーカー・アダソンと名乗った。将軍の尋問に対し、捕虜はこの場に相応しくないユーモアと機知に富んだ受け答えをする。敵軍のスパイなら、死罪になることは当然自覚しているはずなのに、だ。クレイバリング将軍はパーカー・アダソンに関心を寄せる。するとパーカー・アダソンもクレイバリング将軍の関心に応えるかのように、気の利いた返事をする。

将軍は見張りのタスマン一等兵に用事を言い渡す。幕舎のテント小屋の中は、南軍の将軍と北軍の捕虜だけになる。処刑の手順を説明する将軍に対し、パーカー・アダソンは死に関する自分の考えを披露する。

たしかに、苦痛は愉快ではありません。私も苦痛を受ければ、かならず多少の不愉快さを感じます。しかし、最も長生きする人間が、最も多く苦痛にさらされるのです。あなたが死と呼ぶものは、最後の苦痛だけです──実際、死ぬことほどいいことはないんです。  

 〈哲学者〉パーカー・アダソンの逆説めいた話に、クレイバリング将軍は「少女のように顔を赤らめ」微笑んだ。

 

感想その他

パーカー・アダソンのノリのいい少々哲学的な話に「少女のように顔を赤らめ」たクレイバリング将軍は、この小利口な北軍のスパイをしばらく生かしておこうと思っただろうか……なんてことはビアスは書かない。途中から形勢が逆転するのだ。死についての深淵な考えを持っているのは、実は、人生経験豊かなクレイバリング将軍の方で、口先だけの〈哲学者〉は「思考が自分でもあまり考えたことのない問題に入っているのを感じ」勢いだけで話をし、ついに本音を曝す──「私は死にたくありません」と。

それだけではない。ビアスは〈哲学者〉の死を、その者が唱える静謐なものからドタバタしたものに意地悪く変える。そこで、幕舎のテント小屋が急ごしらえの簡易なものであったという伏線が大いに利いてくる。「死ぬことはいいことだ」なんて言っていた〈哲学者〉は、死にたくないと暴れ、それによってテントの天幕が落ち、将軍、〈哲学者〉、処刑人の大尉の3人がその中で挌闘することになる。

皮肉な結末は期待通り。〈哲学者〉パーカー・アダソンは最後まで醜態をさらしながら結局銃殺される。クレイバリング将軍は「ああ、すべてがなんと静かだ!」と言いながら古代の哲人のように静かに息を引き取る。

個人的には、見張りだったタスマン一等兵が上官らに事情を説明するところにアンブローズ・ビアスの人間観察の鋭さを見る。

彼の生涯で最も名誉ある機会だった。その夜の出来事と自分自身の関係の重要性を少しでも引き立てることができるならば、なにひとつつけ加えるのを忘れなかった。彼が話を終わり、もういちどくり返そうとすると、もう誰も彼の方に目を向けていなかった。  

 「もう誰も彼の方に目を向けていなかった」という一文がキツい。

 

データ

Parker Adderson, Philosopher

大津栄一郎 編訳『ビアス短編集』(岩波書店)所収 

ビアス短篇集 (岩波文庫)

ビアス短篇集 (岩波文庫)