The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

リチャード・ライト : 何でもやれる男

概要

 

ーーカール、だ、だれが見ても、あ、あなたが男ってことは分かるわよ。

ーーハッハッ。そんなことはない、ルーシー。ぼくはちゃんと風呂場の鏡で確かめたんだ。ぼくがドレスを着ると、どこにでもいる黒人女の炊事婦にそっくりだ。どっちにしたって、誰がきみ、われわれ黒人の顔をじろじろ見るやつがいるかい。白人にとっちゃわれわれ黒人はみんな同じものにしか見えないんだ。

 

カール・オーエンスは失業中の料理人。妻のルーシーは出産したばかりで体調がすぐれない。したがって現在、この黒人夫婦には収入がない。二人にはローンで買った家の支払いがまだ残っている。家を手放したくないカールは毎日のように求人欄を探すが、自分に見合った職はない。需要があるのは、黒人女性の家政婦ばかり。

そこでカールは女装し、妻の名前で、炊事兼家政婦の仕事に応募する。フェアチャイルド夫妻は「一目で」女装したカールを気に入った。

掃除、洗濯、炊事と家政婦の仕事を楽々こなすカールだが、フェアチャイルド夫妻の6歳の娘リリーのお守りには緊張させられる。リリーは子供らしい素直さで前の家政婦と比べてカールが「男っぽい」と感じているようだ。カールの太い腕と毛深さも、前の家政婦と比べられる。

一方、夫人のアン・フェアチャイルドはカール=ルーシーを信頼し、風呂場でカールに体を洗わせ、「女同士」の話をする。「女同士」の話として聞いて欲しいと女主人はカールに告白する。前の家政婦を辞めさせたのは……夫との関係があったから、だからあなたも気をつけてほしい、と。

女主人が外出すると……デイブ・フェアチャイルドは新しい黒人家政婦に酒を一緒に飲もうと迫る。デイブは娘リリーに部屋で昼寝をするよう命じる。リリーは、またパパと家政婦が「レスリングをする」んだと、と思い、父親に従う。

デイヴは家政婦にしつこく迫る。強姦しようと家政婦に手をかける。カールは抵抗し、反撃する。そこへ女主人が帰ってくる。

アン・フェアチャイルドはこの状況を「読み解く」。前の家政婦を辞めさせてから、求人を出してすぐにこんな理想的な黒人家政婦がやってくるわけがない。夫は前々からこの黒人女を知っていて、それで二人がグルになって自分を騙していた。そうでなければ初日からこんなことをするわけがない。自分の説にまごうかた無き整合性を見出した女主人は、逆上する正当性も見出し、ピストルを手にする。自分の説に整合性がある以上、ルーシーと名乗る黒人家政婦の言い分など耳に入らない。そう、信頼していたのに、だから「女同士」の打ち明け話もしたのに、あのとき風呂場で、裸で。女主人は信頼を裏切った家政婦に銃を向け、撃った。

やがてフェアチャイルド家のお抱え医師がやってくる。医師が夫妻に話したのは黒人家政婦の怪我の具合だけではなかった。家政婦は男だった、と告げる。

それを知ったデイブ・フェアチャイルドは、この状況を見て、もし妻ではなく自分がこの女装をした男をピストルで撃ったと仮定するならば、それを正当化するための事実はどうあるべきなのか「読み解く」。この黒人男性は自分の妻である白人女性を強姦するために女装し、フェアチャイルド家にまんまと侵入した。男が妻に手を掛けようとしたとき、犯行現場を目撃した自分が、名誉と家庭のために、女の服を着た男をピストルで撃った。これは黒人男性から白人女性の貞操を守るために行使した正当防衛である。この説は十分に整合性があり、陪審員も認めてくれるだろう、とデイブはまるでそれが本当の事実であるかのように自信をもって話す。

 

感想その他

ジャン=ポール・サルトルの『恭しき娼婦』のようになるのかと思ったが、そうはならなかった。それはアン夫人が夫の提示した説をガンとして採用しないと振る舞っただけでなく、切れ者フェアチャイルド家の医師が、状況を適切に読み解き、有利な取引をカールにもちかけ、それをカールが了承したからだった。カールの怪我も見た目ほど重症ではなかった。家のローンの残りを支払うに足る見舞金をカールは得た。フェアチャイルド夫妻も仲直りをする。つまり、このリチャード・ライトの『何でもやれる男』は、ハッピーエンドになっているのだ。もちろん読者は背景にある深刻な人種差別を読み解くべきなのだろうが、それにしても、一貫してコメディ・タッチなのは変わらない。とりわけフェアチャイルド家の娘リリーが、すべてを見抜いていて、それを知っていながら大人たちに調子を合わせている、と読者が読み解けるよう描かれていることが小説全体の印象を左右しているように思える。おそらくカールの女装も、リリーは「一目で」わかっていただろう。大人は何もわかっていない、とつぶやく少女の姿が想像できる。

ヘンリー・ジェイムズの『メイジーの知ったこと』を思い出した。

 

データ

Man of All Work

赤松光雄、田島恒雄 訳、『八人の男』(晶文社)所収 

八人の男 (1969年) (今日の文学〈5〉)

八人の男 (1969年) (今日の文学〈5〉)