The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

リチャード・ライト:アフリカから来た男

概要

画家のジョン・フランクリンと妻のエルシーはアフリカを自動車で旅行している。なぜアフリカなのか? それはエルシーが、ジョンと彼の愛人オディル・デュフィールを引き離そうと、パリから遠いこのアフリカの地へ夫を連れてきたのだった。どうやらエルシーの目的は果たせそうだ。二人は元の鞘に収まるだろう。ジョンもここアフリカで仕事をする気になった。

ただ二人は奥地へ入りすぎた。雨が降ってきた。フランス人夫婦の運転する車はアフリカ人の男を轢いてしまった。

アフリカ人の男はバブと名乗った。バブは自分の体がフランス人の車を傷つけ、自分の血で車を汚してしまったことを詫びる。この黒人男性は「この」白人男性にひたすら恐縮し、低姿勢だった。自分は熱心なキリスト教徒です、とバブは言う。

フランクリン夫妻は自分たちの宿泊先にバブを連れて行く。具合がよくなるとバブは下男として夫妻に仕える。ジョンはバブをモデルに絵を書く。バブは言う。「白人、強い」。「いつか白人の国が見たい」。そしてキリストを讃える歌を歌う。さらにバブは言う。日曜学校の本でイエス様の肖像画を見たことがある。「旦那様はイエス様と同じでひげは赤い。目も青い」。

 

ジョンとエルシーがフランスへ戻る時期が近づいた。ジョンはアフリカで描いた作品で個展を開く計画をたてる。それを聞きバブは泣きわめく。旦那様と奥様に仕えたい、と。エルシーは反対したが、ジョンはバブをパリに連れて行くことにした。

飛行機の中で(神様のそばまで昇ったとバブは言う、神様のおかげでバブは泥の家でできた黒人の国から白人の国へ行くことができる)、バブはジョンに尋ねる。

神様はひとりしかいませんよね? 

神様は白人ですよね? 

だって日曜学校の本では、神様は白人でしたから。

ジョンは言う。黄色い肌の人は神様を黄色だと言うし、黒い肌の人は神様を黒いと言うし、白い肌の人は白いというだろう……

でも、とバブは食い下がる。「でも、ほんとうは、神様、白いんでしょうね。旦那様? 旦那様のように白いのでしょう?」

 

パリに着くと……バブは失踪した。警察に届けたがアフリカから来た男の行方はわからなかった。

一月後、ジョンの個展が開かれることになった。個展の初日一時間前、あのバブの神を賛美する歌声が鳴り響く。バブは生きていた。ジョンはこれまでどうしていたのかと黒人男性に詰問する。バブは主人に説明する。

バブは白人のジャングルに入って行きました。

白人の天国を見ました。

ここは神の都です。

バブはキリスト教徒です。

バブは神様をみつけました。

バブはベルサイユに行きました。

黒人はジャングルの泥の小屋で暮らし、白人は石の建物に住みます。

それは神様が白人にお与えになったからです。

今、旦那様は、それを否定しましたが、それはバブを試しているのです。旦那様はバブに試練を与えているのです。

黒人はジャングルに住んでいる。白人は石の家に住んでいる。神様はなぜそんなことをなさるのか、神様はそんなじゃない

……バブはついに見つけました。それはセーヌ川河岸の本屋にありました。バブは神様の絵を見つけたのです。その絵は……旦那様が描かれていました。

旦那様は知り合いの画家の絵のモデルになったとおっしゃいますが、旦那様はバブを試しています。バブに試練を与えています。

旦那様は神様です。

旦那様はバブを試すためにパリに連れてきた。エルサレムユダヤ人を試したときのように。 

だが、ユダヤ人はバカだった……あなたについて行こうとしなかった……ところが白人は神様を信じ、白人は神様を殺し、神様は墓場から出て来てこういった──よろしい、白人よ、お前たちはわたしを見つけ出した。わたしはお前たちを祝福する。お前たちはわたしに血を流させたが、わたしたちはお前たちを汚れなきものにしよう……わたしは白人に立派な建物を贈ろう……。白人を強力なものにしてやろう。 

 バブはナイフを手にする。自分は本当の信仰を得たと言う。旦那様=神様を愛していますと言う。だからバブは愛ゆえにあなたの血を流します。白人があなたを殺し、あなたが神であることを明かしたように。あなたは復活し、白人を強力なものにした。今度は黒人の番です!

 

感想その他

このリチャード・ライトの『アフリカから来た男』(原題 Man, God Ain't Like That....)の9割は、アフリカの黒人男性が植民地主義というものを独自の方法で読み解くプロセスが描かれている。その(バブの)論理展開がすさまじく、これまで慎重に敷かれていた伏線が一挙に回収され、それが「キリストの死」に向かって突っ走る。ここ、どきどきしながら読んだ。また、長くなるので概要では書かなかったが、バブは最初は土俗の宗教も信じており、その土俗の宗教の比重が下がり、代わりにキリスト教の比重が上がり、最後は完全な「キリスト教徒」になる。そのプロセスも、バブ自身が意識していない植民地主義の問題として読み解くことも可能だろう。

だけど、それだけでは終わらない。何よりすごいのは残りの(最後の)1割が警察の捜査になっていることだ。つまり警察当局が「ジョン・フランクリン殺人事件」を読み解く。まるで推理小説のパロディのように。

読者は「狂信者」バブがジョン・フランクリンを殺したのを知っている。しかし警察は、黒人のために神(ジョン)を殺した、というバブの主張を相手にしない。ただし一点だけバブの証言を採用する──それは「聖母マリアの幻影を見た」というものである。ここから警察はジョン・フランクリン殺しを読み解く鍵を得る。バブの言う聖母マリアとは、ジョンの愛人オディル・デュフィールではないか。そうだとすると、実はジョンとオディルはエルシーに隠れて逢引きをしていたのではないか。その日、妻エルシーはそれを見てしまった。逆上した妻は……。

 

データ

赤松光雄・田島恒雄 訳、『八人の男』(晶文社)所収 

八人の男 (1969年) (今日の文学〈5〉)

八人の男 (1969年) (今日の文学〈5〉)