The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

アンブローズ・ビアス : 底なしの墓

概要

「ぼく」の父親が突然(健康だったのに)夕食後に死んだとき、母親は「私が手をくだしてこうなったわけではない」と子供たちの前で強調した。「もちろん、死んでよかったと思っているけど」。

しかし心配性の母親は、このような突然の神秘的な死の場合に検屍官がやってくることが気に食わない。だから母の一番のお気に入りのぼくにこう命じた──検屍官を殺しておいで!

ぼくは愛する母親のために喜んで検屍官を殺した。すぐに捕まり牢屋に入れられたが、翌日、首席判事に無罪を主張した。ぼくが殺害した検屍官は悪名高い民主党員です、と判事に補足説明をするのも忘れなかった。これによって共和党の判事は、ぼくの味方になった。さらに、ぼくの弁護士は死んだ検屍官実弟だったのだが、ちょうど兄と土地のことで揉めている最中だったのも功を奏した。

ぼくは無罪を勝ち取った。母親も無事、検屍と解剖を回避し、夫を埋葬することができた。ただ父親の財産のほとんどが娘婿に渡ってしまったのは誤算だった。ぼくたち家族は働かなければならなくなった。そのため、旅人を自宅へ誘い、殺すというビジネスをすることになった。死体は地下室に埋めた。

地下室には死体の他にワイン等の酒類や食料品も貯蔵してあった。あるとき、地下室に食べ物の残骸が散らばっていのを見つけた。おそらく幽霊の仕業だろう。信心深さと世俗的知恵の両方を持ち合わせた母親は食料等の少々の損失より、秘密のビジネスがばれるのを気にし、そのままにしておくよう子供たちに命じた。

そして、隣町の町長を地下室で埋葬しているとき、幽霊がぼくたちの前にあらわれた。幽霊は酒で酔っぱらっているようだった。微かなローソクの光の中で見えた幽霊のようなものは、ぼくたちが埋葬したはずの父親だった。

 

感想その他

『犬油』や『ぼくの快心の殺人』と同じように残虐無慈悲なことをしているのに、それを淡々と語る一人称の「ぼく」がいい感じを出している。例えば「ぼく」は母親の一番のお気に入りなので、赤ん坊の耳をそぎ落としても、母親の愛情が変わらないことを試みたりする。こういう調子なので猟奇殺人や幽霊が出てきてもホラーにはならない(しかも幽霊はちゃんとした人間だった、と合理的な説明まである。解剖を避けるための検屍官殺しもちゃんと伏線になっている)。

個人的には、この『底なしの墓』では、グロテクスできわどい政治風刺、社会風刺が、メインの怪談話よりも笑わせてくれた。共和党員、民主党員の縄張り争いは昔も今もという感じだが、ビアスの筆致から昔も今もタブロイド紙はこんな感じなんだな、と思わせてくれる。

とりわけ検屍官を殺した「ぼく」が牢屋に入ったときに経験した「大変不愉快な夜」のお話。どれほど不愉快だったかというと……同房の囚人は二人の牧師で、神を冒涜する言葉を大声で言い合っていた、と「ぼく」は読者に心からの同情を求める(嘘つけ!)。それをジャーナリスト、アンブローズ・ビアスは次のよう皮肉る。 

神学の訓練を受けたことが、さまざまな不敬な観念を生み出す肥料となり、たとえようもなく冒涜的な言葉を自由に駆使する能力の基盤になったのだ。 

 

データ

大津栄一郎 編訳、『ビアス短編集』(岩波書店)所収 

ビアス短篇集 (岩波文庫)

ビアス短篇集 (岩波文庫)