The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

ウィリアム・サローヤン : 長老派教会聖歌隊の歌い手たち

概要

この国には奇妙で悦ばしいことがいろいろとあるけれど、そのひとつが、善良なる国民がひとつの宗教から別の宗教へ、あるいは特に何も宗教を持たない状況からたまたまそこに現れた宗教へとあっさりと移ってゆく、その無造作である。そこでは特に何の喪失も獲得も生じず、人は無垢のままでありつづける。 

 「僕」ことアラムは、アルメニアカトリック教徒として生まれたが、洗礼を受けたのは13歳になってからだった。でも僕は以前から長老派教会の少年聖歌隊で歌っていた。なぜ長老派教会で? それはバライファルという年配の女性から毎週1ドルをもらってたからだ。

ミス・バライファルは年配の女性だけど、おそらく結婚をしたことがない。結婚を考えたこともないだろうし、恋をしたことがあるのかもわからない。だから僕は「ミス」・バライファルと呼ぶ。学のあるミス・バライファルはロバート・ブラウニングをはじめとする詩人の詩を読み、繊細な感受性の持ち主だったので、僕と友人のパンドロが「汚い言葉」で話していると、注意してきた。ミス・バライファルは敬虔なクリスチャンだった。

ある日、ミス・バライファルに頼まれて僕とパンドロは彼女の家のオルガンの移動を手伝った。成り行きでミス・バライファルのオルガンに合わせて僕たちは歌った。そのときミス・バライファルは僕が「クリスチャンの声」をしていると言った。彼女は、自分が通っている長老派教会の少年聖歌隊で歌うべきだと強く主張する。断る僕に対し「私のために歌ってほしいの。お金をはらうから」と粘る。

ここから僕(とパンドロ)とミス・バライファルとの駆け引きが始まる。50セントから始まって、結局1ドル25セントまで釣りあがる(僕が1ドル、パンドロが25セント)。

どうしてこの金額まで上がったかというと、パンドロが「宗教はほかにもあるんですよ」と商談の主導権を握り、バプテストならアラムの「天使の声」に2ドル出しますよ、と交渉したからだ。長老派のミス・バライファルにとってバプテストに負けるわけにはいかない。パンドロは商売上手だった。契約は成立した。

 

あのときのことを思い出し、僕は宗教のことを考える。僕は13歳のときアルメニアカトリック教会で洗礼を受けたが、そのときも長老派教会で歌っていた。既存の宗教全体に懐疑を抱きはじめ、自分なりに宗教を理解したい、自分なりに全能なる存在を受け入れたいと思う。変声期になりミス・バライファルとの契約も終わった。 

いまでは大半のアメリカ人同様、自分の宗教を含めすべての宗教を信じ、他人が何を信じようと信じまいと、相手がまっとうな人格であるかぎり誰に対しても悪意を抱かないというのが僕の信条である。 

 

感想その他

アラムとパンドロのミス・バライファル相手の駆け引き場面が楽しい。最初主導権はミス・バライファルが握っていたのだが、パンドロがバプテストを持ち出してから風向きが変わる──1ドル25セントをくれないと、バプテストに行きます。

アラム自身は、宗教に関しては冷めた目で見ている。「信じること」が実よくわからないと正直に書き記す。だってアルメニアカトリック教会で洗礼を受けたのに「何の変化」も感じられず、同時にミス・バライファルから1ドルをもらって長老派教会で歌う僕って……風変りじゃない?

 

データ

柴田元幸 訳、『僕の名はアラム』(新潮社)所収 

僕の名はアラム (新潮文庫)

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