The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

ダフネ・デュ・モーリア : 笠貝

概要

カサガイ類は、アワビ類と同様幅の広い腹足で岩盤などの基質に強力に吸着して生活している。これは生活している基質から離れることを前提とせず、傘型の殻を引き剥がすのが困難なほど岩盤などに密着させて身を守っているのである。従って、多くのらせん状の殻を持つ巻貝類が持つような蓋を持っておらず、殻の奥に身を潜ませて蓋で殻の口をふさぐことによって身を守ることはない。

こうした身の守り方をしているため、カサガイ類を意味する英語の limpet は「しつこくまといつく人」、「地位にかじりつく役人」などを指す語としても転用されている。

  

カサガイ - Wikipedia

上記のウィキペディの説明でこのダフネ・デュ・モーリアの『笠貝」の内容をほぼ言い尽くしている。

「わたし」は40歳に近い女性。「わたし」はこれまで関わりのあった人たちについて順々に語っていく。「わたし」は善意でもって自然と彼らに近づき、善意でもって彼らを自然に操り、「わたし」の善意によって彼らは自然と破滅していく。身近な家族から首相候補の政治家まで。

 

感想その他

特に上手いなと思ったのは、ロンドンに住みたくなった「わたし」がロンドンで一人で住んでいるマッジ伯母さんに取り入るところ。独り暮らしの伯母さんに「強盗が怖くない?」と自然に切り出し、そんなことを考えたことがないと言う伯母さんに対して、それにいかにも驚いた顔をして「だったらそろそろ考えたほうがいい」と警告、こんな事件があったと新聞記事の話をするうちに、伯母さんはすっかり「わたし」の術中に落ちている。さらにダメ押しで、一人暮らしで転んで脚でも折ったら何日も発見してもらえないから、と。

もちろん、これだけではマッジ伯母さんに吸着しただけだ。「わたし」に吸着された者は、そのあまりに執拗な吸着の仕方によってボロボロになる運命にある。運命なので「わたし」が直接手をくだしたわけではないが、「わたし」が伯母さんに吸着しなかったら伯母さんは早死しなかっただろうということが次第にわかってくる。このエピソードは1939年の戦争中のことで「敵軍は真っ先にヴィクトリアを狙う」と「わたし」はマッジ伯母さん(と母親)に指摘し、二人にデヴォン州に避難するよう命じる。ところが伯母と母親が滞在していたアパートに爆弾が落とされ、二人は亡くなった。「わたし」もヴィクトリアの家も無事だった。さらに、二人が亡くなったことで「わたし」は神経衰弱に陥り、少女や若い女性への徴兵から免れることになった。

こういった具合に、一つ一つの(一人一人に対する)「わたし」の笠貝としての吸着ぶりが、いやーな感じで次々と描かれていく。しかも「わたし」自身は意識していなさそうであるが「いかに他人の弱点を見つけそれを突くこと」を学習によって次第により上達させているようだ。そしてこのような「わたし」が、笠貝を象徴する意味になっている「しつこくまといつく人」を地で行くように、マスコミ関係の仕事を得、有名人のゴシップに通じてくると、もはや世界征服も……という感じになってくる。実際には英国政界どまりだったが。

 

データ

務台夏子 訳、『人形 デュ・モーリア傑作集』(東京創元社)所収