The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

ダフネ・デュ・モーリア : 人形

概要

序文で医者らしき人物が、以下の物語はXX湾で発見された文書で執筆者は不明である、と但し書きがつく。文書には判読できない損傷があり、多くの部分は脈絡がないように見え、終わり方も唐突であっけない、と。

 

手記のような物語の語り手は「僕」である。僕はレベッカという女性ヴァオリニストを「愛しすぎるほど愛し、求めすぎるほど求め」た。レベッカによって僕は狂わせられた。あの「聖人を思わせる狂信的な大きな目」「黒く輝き、荒れ狂う、手に負えない髪の光輪」をもった美しいレベッカに。

レベッカのことを考えると、レベッカは僕の一部になる。レベッカのことを考えすぎて、レベッカは僕自身になる。後にストーカーと呼ばれる行為のメカニズムが、ストーカー自身によって語られる──医者がこの文書を公開したのはそのためであろう。

レベッカのあらゆる言動が僕にとって意味を持つ。表情のひとつ、微笑みのひとつひとつに意味がある。それは、僕を耐えがたく苦しめ、同時に輝かしい歓びを僕に与える。彼女の言動は僕に読み解かれることを待っていた。しかしあるとき僕は感づいた。彼女は何か隠している、と。彼女は僕に嘘をついていた。彼女はあらゆる男と寝ていたに違いない。僕は猜疑と嫉妬で苦しむ。なぜなら彼女のあらゆる態度が計算しつくされていたからだ。僕には彼女の心に何があるのか、決して読み解けないことに、いまさらながら気がついた。

僕はレベッカのアパートに押し掛ける。彼女は僕を待っていた、と僕は思う。風変りな服を着たレベッカメフィストテレスのようであり、浮き浮きと部屋を動き回る様子はエルフのようだった。レベッカは唐突に言う「強く愛するがゆえに、その人を苦しめることに歓びを──説明のつかない歓びを感じるってことはある?」

そしてレベッカは、あなたにジュリオを紹介したい、と言った。僕を別室に案内すると、そこには16歳くらいの少年が椅子に座っていた。ジュリオは口が真っ赤に裂け、肉感的にみだらで、にやにやと笑っていた。それはまるでサテュロスの顔だった。ジュリオは人形だった。

 

感想その他

この『人形』はダフネ・デュ・モーリアが21歳のとき、1928年に書かれたものだという。作家としてのデビュー以前の習作であるが、そんなことはまったく感じさせず、ダフネ・デュ・モーリアが書いたダフネ・デュ・モーリアの美品以外の何ものでもない。何よりまだ「ストーカー」という言葉が一般的でない時代に、パトリシア・ハイスミスの『愛しすぎた男』やルース・レンデルの『求婚する男』にはるかに先んじ、ストーカーの心理を、その独善的な論理とその亢進性を(「僕」がレベッカの奏でる音楽を聴いて得た高揚感は明らかに性的なものだろう)、余すところなく描いている。しかも、そのストーカーのような「僕」が、ストーカーのように行動したからこそ発見した「彼女についての事実」が、また淫靡で美しい。

医者が発見した手記という設定が、ところどころにある欠落部分によって、真実を覆い隠すとともに、それを解く謎とサスペンスが生み出されるのも上手い。そしてこのダフネ・デュ・モーリアの『人形』も、最近発見されたものだと知って、そこにシンクロニシティも感じた。

 

データ

務台夏子 訳、『人形 デュ・モーリア傑作集』(東京創元社)所収