The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

江戸川乱歩 : 白昼夢

概要
晩春の蒸し暑い日の午後、語り手の「私」は、どこまでもどこまでも真っ直ぐに続いている広い大通りを歩いていた。途中、道の真ん中では、お下げの女の子たちが輪になって「アップク、チキリキ、アッパッパア……アッパッパア……」と歌っていた。男の子たちは縄跳びをしており、その光景は高速度撮影機を使った活動写真の様に見えた。
さらに通りを進んでいくと14、5人の人だかりが目に入った。身なりの良い教養もありそうな40歳代の男が何か熱心に演説をしており、群集がその男を不規則な半円で取り囲んでいたのだった。
男は抑揚に富んだ口調で時に歌舞伎役者のような身振りを交え事の次第を聴衆に語っていた。


俺は妻を愛していた。殺すほど愛していた。しかし妻は浮気をした。妻の浮気のために商売も手に就かなくなった。それなのに妻は、巧みな嬌態や手練手管で事実を覆い隠し糊塗した──ピンクウォッシュした。その「妻のピンクウォッシュ」がますます俺を惹きつける。不貞という罪を犯している一方で、それゆえに綺麗に化粧し、赤い唇でニッコリと俺に微笑む魅惑的なピンクウォッシュに。この、俺を虜にする姿態を永久に留め、俺のものにしておきたかった。殺さずにはいられなかった。千枚通しを力任せにたたき込んだ。妻は、あの美しさで巧妙に糊塗した罪深いピンクウォッシュな微笑みを湛えながら死んでいった。俺は死体をバラバラにした。そして水道を出しっぱなしにして死体を冷やした。冷やし続けた。死骸は、予想通り、腐らなかった。死骸は屍蝋になった。「……女房の脂ぎった白い胴体や手足が、可愛い蝋細工になって了った」。俺は薬屋をやっている。薬屋には人体模型があるだろう? 俺の店では、妻の死体を人体模型として店先に堂々と飾っている。これ以上の死体の隠し場所なないだろう?  刑事だって気がつくまい。


私は男の話を聞いて気分が悪くなった。振り向くと、そこに薬屋があった。ガラス箱の上に女の顔があった……。身体がよろめき倒れそうになった。恐ろしくなり群集の側から離れた。見ると、一人の警官の姿が群集に交じっていた。警官は他の群集と同じようにニコニコ笑いながら男の告白を愉しげに聞いていた。

 


感想その他

この『白昼夢』は傑作だと思う。魅了された。
実は江戸川乱歩って子供向きの小説を子供の頃に読んだ以外は、ほとんど読んでいなかった。大人向けの長編で読んだのは『孤島の鬼』ぐらいか。なので、この『白昼夢』も初めて読んだのだが、幻想小説家としての江戸川乱歩の素晴らしさを発見したと少し大袈裟に言っておきたい。

特に印象的なのは以下の二つの部分。語り手の「私」がどこまでも続いている広い通りを歩いていると、少女たちが「アップク、チキリキ、アッパッパア……アッパッパア……」と歌っているところ。なんですかこの「アップク、チキリキ、アッパッパア……」って。何語かもわからない「アップク、チキリキ、アッパッパア……」から主人公が突如として異界に踏み込んでしまったことがわかる。さらに少年たちが縄跳びをしている光景が「高速度撮影機を使った活動写真の様」ってエドワード・マイブリッジの運動している人間や走っている馬の連続写真を思わせるじゃないですか。そう思っていると、「アップク、チキリキ、アッパッパア……アッパッパア……」という意味不明な声が、フィリップ・グラスの『フォトグラファー』の音楽のような効果を帯びてくるようだ。
そしてそのような白昼の中であっけらかんと猟奇殺人が語られる。平穏な日常生活の中に突如現れる猟奇、というよりも猟奇殺人が「普通の風景」になっている空間(スペース)に主人公が入り込んでしまった、というほうが適切だろう──ちょうど非正規職員や非常勤講師の雇い止め問題が「普通の風景」になっているネオリベラリズムと親和性のある大学が、そうであるように。

ところでエドワード・マイブリッジといえば、彼の犯した殺人事件に触れないわけにはいかない。
ウィキペディアによれば

1874年10月17日、マイブリッジは妻の愛人であるハリー・ラーキンス少佐を嫉妬にかられ、射殺した。 殺意が明らかであったにもかかわらず、裁判では正当防衛として無罪となった。 この殺人は、周囲からはフロンティア的な正義として黙認されたが、彼は判決後、中央アメリカへ去った。

 


Philip Glass. The Photographer Part 3 - Entire movement

 

 

データ

青空文庫で読んだ。

図書カード:白昼夢