The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

ジャック・ロンドン : あのスポット

概要

「俺」とスティーヴン・マッカイは1897年のゴールドラッシュにクロンダイクを目指した。俺とスティーヴは実の兄弟以上の仲だった。スティーヴは俺の相棒だった。同志だった。俺はあいつが病気のときは治るまで看病し、あいつも俺の命を救ってくれた。俺はあいつを心から信頼していた。

それなのに今は、スティーヴが現れたら、俺は何をするかわからない。俺とスティーヴがこうなったのは一匹の犬が原因だった。

俺とスティーヴは冬の峠を越えるため犬を買った。血統ははっきりしないが見栄えはよかった。犬の一方の胴に大きな水玉があたったので「スポット」と名付けた。スポットは賢そうだった。実際、賢かった。スポットはまったく仕事をしなかった。スポットは働くには賢すぎたのだ。

俺はあの犬の目をじっくり覗き込んだときがあるが、あの目から輝き出ている知恵が見えたとき、背骨の隅から隅まで寒気が走り、骨髄が酵母みたいにムズムズと這ったものだ。あの知恵について俺は語るべき言葉を持たない。あれはおよそ言語を絶している。俺にはそれが見えた、としか言えない。奴の目を覗き込むのは時に、人間の魂に見入ることに似ていた。

 

それでもなお、俺は一種の仲間意識を感じた。いや、センチメンタルな仲間意識ではない。それはむしろ、平等な者同士の繋がりだった。あの目は決して、鹿の目のように嘆願したりはしなかった。あれは挑む目だった。反抗とは違う。それはあくまで、静かに平等を前提とする態度だった。 

スポットはいつのまにか橇犬たちのボスになっていた。何匹かの橇犬には生々しい噛跡があった。他の犬たち全員を屈服させていた。

仕事をしないスポットにスティーヴは鞭を喰らわせた。そのことで俺とスティーヴは初めて言い争った。犬は大食いで、狡猾な泥棒だった。スポットに食料を奪われた。他所の野営地からも食料を奪い、俺たちはその弁償をさせられた。見栄えがいい犬だったので、簡単に売り払うことができたが、数日たつとスポットは俺たちのもとに戻ってきた。それを何度も繰り返した。冬のある日、スポットは食料置き場から食料を奪い去った。俺たちは餓死しかけた。もう犬を食べるしかなかった。そう決断すると、スポットはまるで状況を察知したかのごとく消えていた。俺たちは他の橇犬を全部食べてしまった。

 

感想その他

簡単に言えば、それなりに上手くやっていた「俺」とスティーヴの間にスポットという犬が割り込んできて、その犬に振り回された挙句、二人の仲も解消した、というところだろうか。それはどうしてかというと、答えは簡単で、スポットは犬のような犬ではなかったからだ。スポットは終始、犬扱いされることを拒む。平等に扱われることを、他の犬がすることをしないで、俺とスティーヴにわからせようとする。そのことを二人にわからせるために絶対に死なないし、売られても、川に流されても、島に取り残されても、絶対に二人のところへ戻ってくる。二人は、男二人+X の生活に嫌気がさし、それが耐え難いものになったのだ。

ここでは犬だからといって犬扱いされることを絶対的に拒む犬の姿勢が眩い。よく考えれば、ここでの「犬扱い」はあくまでも人間が想定したもので、他の橇犬たちが「そうだから」といって、スポットが他の犬と同じことをする義務はないのだし、人間にもそれを強要する権能はないのだ、と改めて、このジャック・ロンドンの短編小説は、物語を超えて、こういったあたりまえのことを確認させてくれる。

○○だからといって、○○○に勝手に強引に包摂され、アメリカ人のモノマネをする義務も、それを強要する権能も、どこにも何もない。そのことは絶対的に確認しておかなければならない。誰が他人を犬扱いしているのか?

 

データ

柴田元幸 訳、『犬物語』(スイッチ・パブリッシング)所収