The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

リチャード・マシスン : 生存テスト

概要

息子は父親の勉強を手伝っていた。80歳の父親は明日テストに臨む。息子であるレズは、父親のトムが、どうしても連続した数字を覚えられないことに苛立っていた。父親にはテストをパスして欲しい、そう思いレズの心は逸っていた。レズの子供たちは寝ていた。妻テリーは、そんな義父と夫の様子を無関心を装いながら見ていた。レズの母親メアリーは、幸いなことに、「このテスト」を受ける前に交通事故で亡くなっていた。

子供が学校で習う公民読本にも「老人テスト」のことが書いてある──子供はそれを既成事実として学ぶ。それによると、その国の国民は、ある年齢を過ぎると5年ごとに知能テストと身体テストを受けることが義務付けられている。不合格者は政府センターで注射を受けることになる。死亡率は固定され、人口は抑制される。

妻テリーはレズに言う。もし、お父さんがテストに合格したらあと5年は面倒を診なければならない、と。レズは言う。父は合格できないよ、と。妻を安心させるためにそう言った自分に対し、レズは自己嫌悪に陥る。

 

感想その他

設定は、老人への強制安楽死法が施行された世界。本人が死を望むかそうでないかに関係なく、客観的テストによって、生きるに値するかそうでないかが決定される。ここに、ある意味平凡な(手慣れたといった方がいいかもしれない)メロドラマが展開する。まるで古いドラマに出てくる父親と息子、夫と妻の関係そのままで、よくあるすれ違いと和解が描かれている。だから、この小説の後味は、悪くはない。

だた、このリチャード・マシスンの小説には隠れた設定があると思う。それは、老人を知能テストと身体テストで選別し、不合格者は安楽死させるという法に対し、さしたる反対運動も起きずに(現在でも反対運動が起きているようなことは描かれていない)、すでにその規範が効力を発しているという、それ自体を問題とする設定だ。

それは読者が読み解かなければならない。作者はそこまで書いていない。

だから、なぜ、そんな法律ができたのか? と僕は考える。作中、レズ自身も、生命尊重のキリスト教の教えを受けたにもかかわらず、「生存テスト」自体は、そして、テストをするという「無駄」をも省いたより合理的な「老人除去法」をも肯定している。それはどうしてなのか?

レズは、「テスト」法案を通過させるために、政府がどれほどの統計的操作をしたのかを十分に知っている。多くの人々がそのからくりを見抜いていたと、レズは思っている。にもかかわらず、法案は成立した。それはどうしてなのか?

それは、中絶を前提にした出生前診断とは、何が違うのだろうか?

 

データ

The Test

仁賀克雄 訳、『不思議の森のアリス』(論創社) 所収。

不思議の森のアリス (ダーク・ファンタジー・コレクション)

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