ハインリヒ・ベル : ローエングリーンの死
概要
病院に少年が運ばれてきた。下半身全体が血まみれで脚はつぶれていた。少年はひっきりなしに泣き叫んでいた。医師は少年の身体が石炭の粉で汚れているのを見て事の次第を把握した。少年は石炭を盗もうとし、走っていた列車から転落したのだった。
通常より量の多い鎮静剤を注射された少年の目は冴え奇妙な幸福感を湛えていた。病室には医師の他に看護婦と尼僧がいた。尼僧は別の、もう長くはない、おそらく今夜あたりが山場の少女のために病院を訪れていたのだった。
少年は看護婦の質問に答える。母親は死に、兄は今は留守にしている。だから自分は二人の弟のために帰ってご飯をつくらなくてはならない、と。少年の父親については、事情を察した看護婦が質問しなかった。教会の宗派を訊かれ、少年は洗礼を受けていない、と答える。尼僧がそれに反応する。少年は1933年に生まれ、名前はグリーニイだと言った。
実は少年の本当の名前はグリーニイではなくてローエングリーンだった。少年が生まれた1933年は、アドルフ・ヒトラーがバイロイト音楽祭に初めて臨席し、あらゆるニュース映画でそのときの映像が映し出された。少年の二人の弟の名前はハンスとアドルフだった。
鎮静剤を打たれた少年は幸福感で泣いた。生まれた初めて味わった感覚だった。ただ、8歳のハンスと5歳のアドルフのことが気にかかる。以前、配給のパンを二人の弟たちが全部食べてしまったときに叱ったことを後悔した。自分が帰らないと、二人のチビたちはお腹をすかせてもパンを食べずに自分のことをずっと待っているのではないか……。石炭を盗むときにルクセンブルク兵に見つからなかったら、よりによってロシア兵でもアメリカ兵でもなく、ルクセンブルク兵に銃撃されなかったら、石炭を売ってチビたちにパンをたくさん買ってやれたのに……。
「ぼくは洗礼を受けていなんだ」うわごとで少年が叫ぶ。尼僧が駆け寄って少年の脈をとる。尼僧はグラスがなかったので試験管に水を入れる。「あなたに洗礼を授けます……」
感想その他
これはまず泣かせる小説と言っていいだろう。鎮静剤を打たれた少年が幻覚の中で自分がこれまでどのように生きてきたかを少年らしい言葉で振り返る。その部分は情感を揺さぶらせずにはおかない(タイトルとワーグナーの『ローエングリン』から少年の一生がここで終わるのは予想がつくし)。過去のことを思い出しても、その都度、いまお腹を空かせている弟たちのことが心配になってくる。少年自身が幼いのに、それでも、いまお腹を空かせているより幼い弟たちのことを考え、あのときこうしておけばよかった、あのことをしておくべきだったと少年は悔いる。
そこから自然と次のような「なぜ」が導かれる。
なぜ少年はそんなに苦しみ、それほどまでに後悔しているのか? なぜ少年はそんなに苦しまなければならないのか?
それについては、この『ローエングリーンの死』は1950年に発表されたという事実とその意味はすぐに確認できるだろうし、既知の情報であったならばナチスドイツへの告発というように教科書的に読み解けるだろう。でも尼僧の役割を考えたら(医師と看護婦な病室から出ていき、少年と尼僧の二人だけになる)、誰が誰をどのように告発しているのかも──それが告発なのかどうかも含めて──幅をもって読めると思う。
データ
- 作者: ハインリヒベル,Heinrich B¨oll,青木順三
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1988/10/17
- メディア: 文庫
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