The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

レオン・ブロワ : 殉教者の女

概要

ヴィルジニー・デュラーブル夫人は、かつて自分の夫を痴呆状態へ追い込み、保護施設へ収容させた。今度は自分の娘とその夫の番だった。なぜなら、娘は母親の奇行と悪意を十分知っていたので、結婚のチャンスが訪れると、すぐに夫とともに逃げるように実家を飛び出ていったからだ。自分はボロぎれにように捨てられた。昼も夜も、休みなく娘のためにお祈りをしてきたのに、こんな仕打ちを神様が許してくれるでしょうか──と、デュラーブル夫人は、特急列車が新郎新婦を乗せて走り去っていった駅のホームで、滔々と駅員に訴える。

娘とその夫に復讐しなければならない。いや、復讐では足りない。彼らを罰してやらなければならないのだ。デュラーブル夫人は『出エジプト記』にある十戒の第四の掟「あなたの父と母を敬え」を引き、自分にはその掟を破った者たちを罰する権利があることを確認した。それどころか、彼らを罰する義務すら感じた。聖書にそう書かれている以上、どんな手段を取っても、どんな邪悪な術策であろうと問題にならない。デュラーブル夫人は一途な信仰心の持ち主だった。

まずは娘を奪った夫への罰。娘の夫は「世にもおそろしい悪徳、けがらわしい悪習の持ち主」、すなわちソドムの人間だという情報が流される。何人もの「証人」が現れる。若妻にはソドムの町からとおぼしき際どい内容の手紙が届けられる。

娘への罰も同様だった。夫に、妻の過去を暴露する不潔で淫らな内容の手紙が舞い込む。お前の妻はゴモラの人間で、そのため寄宿舎では50人もの娘が堕落させられた──それゆえ、その女は正真正銘の処女である、と。

デュラーブル夫人は数多くの話を捏造し、それによって自分の娘を愚弄し、娘の夫をいたぶった。二人が逃げていく先々で、ホテルにも、勤め先にも、召使たちのところにも、町の有力者のもとにも、二人のいるありとあらゆるところに、悪意の手紙がばらまかれていた。

執拗に苛め抜かれた二人は、精神的に追い詰められ、死んだ。死因は正確にはわからない。だが、デュラーブル夫人は、二人は自殺した、と証明させた。これにより、娘とその夫はキリスト教徒として埋葬されることを阻むことができた。

 

感想その他

単に厄介者を殺す、ではなく、痴呆状態の陥らせ廃人にする。単に憎い者を殺す、ではなく、事実の捏造による社会的制裁を加え、自殺に追い込む。しかも、デュラーブル氏も、娘とその夫も、そんな精神的拷問を受けるようなことは何もしていないのにだ。単なる殺人以上の壮絶な物語だった。ほとんどホラー小説だった。

とくにデュラーブル夫人が十戒を盾に「罰を加える権利」を主張する場面は、その後のホラー小説やサイコスリラーの先駆的な感じで、今となっては見慣れたパターンであるが、こういう「他人に○○する権能が自分にはある」と思い込む人物については、なぜそう思うのか/思えるのかという点が目下のところ個人的な関心になっているので興味深く読んだ。もちろんデュラーブル夫人は、あくまでも自分は「殉教者気取り」になっている(つもりである)というのも典型的だった。

 

人を殺す、ではなく、人を廃人にするというテーマで真っ先の思い浮かべるのはマーゴレット・ミラーの『鉄の門』だ。あれは「狩り」になぞらえ、狐を追いつめる犬が暗示されていた。

 

作者レオン・ブロワは、かくのごときを行ったデュラーブル夫人は上へ上へとのぼりつめ、なんの困難もなしに「第三の天」へ至ったと皮肉たっぷりに書いている。この「第三の天」は、コリント信徒への手紙二からのもので、以下がそう。

わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りませんが、神がご存じです。

 

コリントの信徒への手紙二 12.2 新共同訳聖書 

 

データ

田辺保 訳、『バベルの図書館 薄気味わるい話』(国書刊行会)所収 

新編バベルの図書館〈4〉フランス編

新編バベルの図書館〈4〉フランス編