The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

パトリシア・ハイスミス:夏の凪

 

「これで、これから数年間はおたがい相手を強請ることができるわけだ」

 

概要

ジョニーもグラントも、あらゆることにうんざりしていた。二人は同じハイスクールに通い、同じアパートに住んでいた。二人は親友だった。あらゆることにうんざりしていたから…二人は殺人の計画を立てる。それぞれの両親に連れられて夏のバカンスに入る前に、ホテルに押し込みハンマーで宿泊客を殺す。それぞれ一人ずつ。見知らぬ相手を殺すのだ。ただし女は殺さない。殺すのは男だけ。

計画どおり、ジョニーもグラントも、ホテルに滞在していた男をハンマーで殴り殺した。約束は果たした。公園の茂みにあるベンチでそのことを話す二人は、互いにどこか気まずいような気がする。しかし、とにかく二人はそういう経験をしたのだ。

 

感想その他

パトリシア・ハイスミス晩年の短編で、いかにもハイスミスらしい男性ペアによる犯罪を描いている。かつてそうであったように、この時期(1994年)であっても、男性ペアを描くとき臆病な作家ならばとってつけたように二人が女性に関心があることを付け加えることがあると思うが、ハイスミスも同じことをしている。ただし、そこはパトリシア・ハイスミス。いかにも彼女らしい女性嫌悪的な言葉を羅列して、その結果、「それ」は二重否定のように読める。

『夏の凪』はハンマーによるホテル連続殺人を二人の青年が手分けして実行する。動機はない。『見知らぬ乗客』を思わす完全犯罪であるが、作者が描くのは、両者ともそこではない。『見知らぬ乗客』では、勝手に交換殺人計画を立て、その第1番目の殺人を犯した男が、もう一人の男に計画通り第2の殺人を犯すように迫るものだった。それが強烈なサスペンスになっていた。『夏の凪』では、それとは違う、しかしやはり特異な心理が描かれる。先に殺人を犯したジョニーは、その犯行がまったく証拠を残さず、あまりにも完璧だったために、本当にジョニーがやったのかグラントに認めてもらえないのではないかという不安に襲われる。他の誰かが犯した犯罪を自分がやったと吹聴しているのではないか、自分はまだ無垢なんじゃないか、とグラントに思われること。それがジョニーを苛む。これだ。これこそがまさにハイスミスならではのもので、このジョニーが抱く不安、「それ」を経験したことをグラントに認められたいという願望が切実さをもって描かれる。

 

 データ

Summer Doldrums、佐宗鈴夫 訳、早川書房『ミステリマガジン』No.470(1995年6月号)

そして宇野亜喜良のイラストがいい感じ。