The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

クルイロフ寓話集より「パルナッソス」「神託を授ける神」

概要

「パルナッソス」

ギリシアの神々の地位が凋落する。神々は神々の座から引きずり降ろされる。そうなると……神々は様々は迫害を受けることになる。それは神々の神殿が修理されず、生贄が供えられないだけではない。「神々が何を言っても、ことごとく嘲笑され」るのだ。

一度、権威と尊敬を失った偶像は、もはやもとには戻らない──それがただの偶像だとわかってしまったのだから。人間たちは神々にギリシアからの撤退を申し渡す。そしてパルナッソスはある人の手に渡った。

新しい地主は、パルナッソスに驢馬を飼い始めた。新しいパルナッソスの住人(?)驢馬は……奇妙なくらい自意識過剰だった。俺たち驢馬一族は、ミューズの代わりになるぜ! と奮闘する。 

おれたちの合唱団をつくるんだ! おれたちの団結が乱されないように、もし誰かの声が、驢馬特有の魅力に欠けるときは、その者はパルナッソスには受け入れないことにする、といった規則をつくろうじゃないか。 

 

「神託を授ける神」

 その神殿には木彫りの神像があった。その予言者めいた助言は、十分に賢明なものだと評判だった。だから人々は神託を盲信していた。

ところが突然、この木彫りの神像は支離滅裂でばかげた返答をするようになった。 

誰が何のためにやってきても、この神が口走るのは出まかせの嘘。 

 人々はこの神の予言能力はどこへ行ったのか訝しむ。

だが、その答えは実に簡単なものだった。神像はがらんどうで、中に神官が入って、人々に予言を与えていた。賢い神官がいたときは、偶像は賢明な助言をした。一方、愚かな神官が中に入っていたときには、偶像は適当なことばかり言っていた。それだけのこと。

 

感想その他

イヴァン・アンドレーヴィチ・クルイロフの寓話は、その題材がなんにせよ、何かしらロシアの政治社会を風刺しているという。「パルナッソス」も「神託を授ける神」も古代ギリシアが舞台だが(後者はそうじゃないかもしれない、でもロシアではない)、明らかに当時のロシアの為政者に対する風刺的時評なのだろう。

クルイロフは、小説が発禁になったり、警察の捜索を受け携わっていた雑誌も禁止されたという。それで、こういう「寓話」という形式で夥しい量の時評を残したのだろう、と普通に読み解ける。クルイロフの寓話はロシアの民衆に深く愛されたという。

かつてロシアの民衆がクルイロフの寓話を自在に読み解いたように、僕もそういう風に意識して読みたい。

 

データ

内海周平 訳、『完訳 クルイロフ寓話集』(岩波書店)所収 

完訳 クルイロフ寓話集 (岩波文庫)

完訳 クルイロフ寓話集 (岩波文庫)