The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

ディーノ・ブッツァーティ : 階段の悪夢

概要

語り手の「私」は、なにやらデザイン会社のアーティスト、あるいはエンジニア風の話し方をする。注文主は「夜の精」で、扱っている商品は「悪夢」。悪夢のレパートリーの中で、とりわけ「階段の夢」は評判がいい、と私は誇らしげに述べる。

では導入事例をお見せしましょう、とばかりに、無作為に選んだと思しきジューリオ・ミネルヴィーニさんという中年男性に自慢の商品=悪夢をみてもらう。

眠りについたミネルヴィーニさんに「ミネルヴィーニさん」と私は呼びかけ、家の階段に呼び寄せる。階段の中ほどで、ミネルヴィーニさんが手を置いていた手すりと柵が溶けてなくなる。一つ一つの階段が恐ろしく高くなる。登れないし、降りられない。「これ、夢なんだろ、な」とミネルヴィーニさんは尋ねる。そうしているうちに、足元の階段が裂け、そこには底なしの深淵が広がっている。

「これ、夢なんだろう、な」とミネルヴィーニさんは再び尋ねる。「まあ、いまに分かるでしょう」と私は言う。

 

感想その他

登っている/降りている階段が途中で壊れたり消えたりするのって『トムとジェリー』あたりの昔のアニメで見たような気がする。その様子が目に浮かぶのと同じように、このディーノ・ブッツァーティの『階段の悪夢』も書かれている内容がまるで映像のように頭に浮かぶようだ。

そう、幻想的な物語なのに、そこで何が起こっているのかが、はっきりとくっきりと見える。描かれていることは明白なので寓意めいたものを読み解く必要はまったくない感じ。悪夢とはこういうことです、これが私たちの主力商品です、と得意げにプレゼンをする「私」のことも、くっきりとはっきりと見える気がする。ブッツァーティもこんな感じで小説を書いているのだろうな。ブッツァーティがストックしている「悪夢のレパートリー」(できれば日本語にローカライズされたすべての商品)をもっと多く味わいたい。

ところで蛇足ながら。『階段の悪夢』を古いアニメ風に映像化したら、BGMにセルゲイ・ラフマニノフの絵画的練習曲《音の絵》Op.39-1 あたりがいいんじゃないかと、ふと思った。

 


Sergei Rachmaninoff, Etude-Tableaux Op.39, No.1 (1st M-Competition)

 

 データ

千種堅 訳、『階段の悪夢』(図書新聞)所収 

階段の悪夢―短篇集

階段の悪夢―短篇集