The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

江戸川乱歩 : 二癈人

概要

肉体に古傷をもつ男と心に古傷をもつ男が、ある冬の日、温泉場で同宿した。斎藤氏の顔には戦場で浴びた砲弾によって見るも無残な傷跡が刻まれていた。顔だけではなく身体にも刻印された古傷の痛みに悩まされていた斎藤氏は、それでも戦争での武勇伝を語ることができた。同じ廃人でも、戦争での名誉という気休めのある斎藤氏のほうが自分よりましだと井原氏は思う。

今度は井原氏が身の上を語る番になった。大学に入学し、下宿生活を始め、一年ぐらい経ったときのことだった。ある日友人から「昨夜は……だったね」と言われる。井原氏はまったく心当たりがない。友人は笑いながらも、ちゃんとその証拠らしきものをつきつける。結局やったやらないの押し問答になりその件はあやふやになったが、井原氏が不安を覚えるようになったのは確実である。そんなとき、かの友人が「君はこれ迄に寝とぼける習慣がありやしないか」と尋ねる。そういえばそんなことがあったような、と井原氏は子供時代のことを思い出す。するとすかさず友人は「では、それが再発したんだぜ。つまり一種の夢遊病なんだね」と言った。
井原氏の子供時代の「寝とぼける習慣」(A)と友人の言う「夢遊病」(B)は充分に親和性があるのだろう。AとBに親和性がある以上、井原氏は夢遊病者であると自分自身を言い聞かせることができ、そのことによって先日のこともそれで説明できることに気がつかされる。友人の話を聞いているうちに、XがYの原因であるならばYがXの帰結であるというあたりまえのことが、何か新鮮な発見のように思えてくる。
AならばBと親和性がある。Bならば任意の事象nが成り立つ。ゆえにあらゆるものがBと親和的でなければならない。井原氏は自分が夢遊病者であることを確信した。
井原氏は自分が夢遊病であることを恥じ、また恐れた。もともと神経質だったので病気が昂じることを気に病んだ。しかし彼の夢遊病は昂じてしまった。井原氏は同じ下宿に住んでいる人たちの物を盗むようになる。朝起きると彼の枕元に、夢遊中に盗んだとおぼしき品物が置いてあった。件の友人に頼んで自分は夢遊病者であることを証明してもらい、盗んだ品物を持ち主に返した。それ以降「井原は夢遊病者だ」という噂が広がった。これにより自他ともに井原氏は夢遊病者になった。
事態は悪くなる一方だった。夢中遊行の範囲が広がり、他人の品物を持ち帰り、さらに自分の持ち物もどこかに落してくる。深夜、井原氏がうろついていたことも目撃された。もちろん井原氏はそれらのことをまったく覚えていない。井原氏は不安な気持ちで夢遊病に関する本を読む。そこには盗みのような軽犯罪だけではなく、血腥い事例も書いてあった。井原氏は自分の夢遊病がより亢進するのを恐れた。そんなとき井原氏の下宿である老人が殺された。井原氏の枕元には殺された老人の持ち物らしき風呂敷袋が置いてあった。


感想その他
井原氏は夢遊病者であった自分が犯した殺人事件を語り、斎藤氏がそれを読み解く。するともう一つの真相が浮かびあがってくる。井原氏はその整ったまるで手品のタネ明かしのような論証に唖然とするも、その真相を受け入れざるを得ない。同時に、そのような仕掛けを考えた真犯人の機智を井原氏は賛美しないではいられない。
そうするとこれはハッピーエンドだな。この二人の男性の微妙な距離感は舞台に向いていると思う。斎藤氏が、なぜ、いま、ここで事件を読み解くことにしたのか、その動機のバリエーションによってラストを少しだけ改変してもいいだろう。あるいはもっと大胆に改変して、明智小五郎のような探偵を登場させ「二人の共謀」を暴くのも面白いかもしれない。

 

データ

青空文庫で読んだ

図書カード:二癈人