The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

ミュリエル・スパーク : 捨ててきた娘

概要

「私」は職場を出て、家路を急ぐ。ただ、何かをし忘れた気がする。それが何だかわからない。バス停では誰も私に目をくれない。自分が透明人間になったように思う。なぜなら、

周囲の視線が私を突き抜けていくばかりか、歩行者が私の体を通り抜けていくような感覚があるのだ。 

 

感想その他

推理小説なら叙述トリックの極北とでも言いたいところだが、ミュリエル・スパークのようなメインストリームの作家にそれが当てはまるかどうかわからない。ただ、もしこれが推理小説だったら、被害者の視点から見た殺人事件の再構築と言えるかもしれない。ただし、被害者自身が、それを殺人事件だと認識していなかったらどうなるだろう? つまり殺人事件の被害者である「私」が、自分は殺されたのだという自覚がなかったらどうなるだろう? 「私」は死んで、今の「私」は幽霊の身分であることを認識していなかったらどうなるだろう?

ミュリエル・スパークのこの小説がすごいのは、自分が幽霊であることを理解していない「私」を視点に定め、「私」が今日一日何をしたのかをランダムに描くことによって、それらの一見あやふやに見える情報から、読者が最後にはちゃんと物語の全体像と仕掛けが読み解けるよう精巧に構成されていることだ。最後の数行まで何が起こっているのかは読者にはわからない。しかし最後の文を読んですぐに、殺人事件があったこと、誰が犯人であるかということ、そして「私」が幽霊であったということが一挙に揃ってわかる。すごい。

 

データ

木村正則 訳、『バン、バン! はい死んだ 』(河出書房新社)所収 

バン、バン! はい死んだ: ミュリエル・スパーク傑作短篇集

バン、バン! はい死んだ: ミュリエル・スパーク傑作短篇集