The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』より第1話

概要

キリスト生誕から1500年後、農民の子として生まれた編著者は、前書きで次のように記す。その昔ティル・オイレンシュピーゲルと呼ばれていた活発で機知に富み、抜け目のない若者が、ドイツやその他の地で「しでかしたこと」を集めて書き記すように依頼された。それで、神様のお助けに頼って、この仕事を引き受けた、と。

この厳しい時代に心楽しく過ごせますように、そしてこの話を読む人や聞く人がしばしの気晴らしができますように私は心から願っています。私には何の学識も洗練されたところもありません。その上残念ながらラテン語も解せない俗人にすぎません。この書物はできるだけ多くの人々に読んで頂くために書かれたものです。(けれでもそのために礼拝の妨げになりませんように)。鼠どもが椅子の下で互いに噛み合っている音が聞こえて来るとき、そして日が短くなり、新しいワインが誠に美味しくなる頃に焼き梨でも食べながらこの書物が読まれることを望んでいます。 

 

第1話。ティル・オイレンシュピーゲルが生まれ、一日に三回の洗礼を受けたことが記される。ザクセンのクナイトリンゲン村で生まれ、ティル・オイレンシュピーゲルと名付けられた赤ん坊は、まずアンプレーベンの村の教会で洗礼を受ける。その帰り道、居酒屋でビールをたっぷり飲んだ一行が村境の小川の橋にやってきたとき……酔っぱらった産婆が赤ん坊と一緒に小川に落ちてしまった。同行の者たちに助けられたが、赤ん坊は泥だらけ。家に帰って赤子を大釜で洗らうことになった。これにて、ティル・オイレンシュピーゲルは、一日に三回も洗礼を受けた。一回目は教会の洗礼盤のなかで、二回目は小川のなかで、三回目は大釜のなかで。

 

感想その他

ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」という語句は、中学生ぐらいのときに、「ツァラトゥストラはかく語りき」や「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」といった語句とともに、意味もわからずに早口言葉の練習のような仕方で覚えた。リヒャルト・シュトラウスの作品としては、最初はすごくカッコいいのだが、どうも竜頭蛇尾な感じが否めない《ツァラトゥストラはかく語りき》よりも、《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》のほうが断然好きだ。

そんな交響詩ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》の原作の文庫版を手に入れてから、だいぶ経つ。何度か読もうと思ったけど、こういう、「他愛のないお話」を最初から最後まで長編小説を読むように集中して読み通すことは、なかなかできない。でもこのまま積読しておくのもな……と思い、気が向いたときに数話読み、このブログに簡単な感想を書こうと決めた。そうやって積読本を少しでも減らせるかもしれない、と。それにざっとはじめの方を読んでみて、たしかに他愛のないお話が続くのだけど、ときどきそこに時空を超えても通用する人間観察の「型」があって、そういうパターンを見つけるのも面白い。もちろん気晴らしに読むのにはちょうどいい。

 

データ

阿部謹也 訳、岩波書店 

ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら (岩波文庫)
 

 

ちなみに、リヒャルト・シュトラウス交響詩ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》はこんな感じ。


Strauss: "Till Eulenspiegel" mit Dohnányi | NDR