The Figure in the Carpet

短編小説を読んだから、その感想を書いた

大江健三郎 : アトミック・エイジの守護神

概要

作家である「ぼく」は、一人の「中年男」にただならぬ興味を抱く。その中年男は魯迅の肖像に見られるような黒い詰襟の服を着て、顔は海驢(アシカ)を思わせる。同行した地方紙記者は、その中年男に関して《アトミック・エイジの守護神》というタイトルの記事を書いていた。それによれば、かつてイスラエルとアラブとのあいだにある避難民救済事情に携わっていた中年男は、日本に帰り、今度は日本の不幸な人々を救済するべく、原爆孤児10人を養子にし、その新しい息子たちと共同生活をしているのだという。ただ、地方紙記者が気になっているのは、原爆孤児10人の少年たちそれぞれに高額の生命保険に掛けられていることだ。もちろん生命保険の受取人は中年男である──保険会社と契約しやすいように、身体に異常のない健やかな少年10人を選んだという。地方紙記者は、広島の少年たちが早晩、白血病で死ぬことを見越して中年男が原爆孤児を養子にしたのではないかと疑っている。つまり10人の少年たちは保険金をあてにした投資なのだ、と。疑り深い地方紙記者は、現在東京で少年たちと暮らしている中年男にさぐりを入れている。東京支社の同僚によれば、少年たちは高等学校のラグビー部の合宿のような具合で暮らしているという。

数年後、ぼくはその海驢を思わす中年男の新たな活動を知る。《アトミック・エイジの守護神》から《アラブの健康法の指導者》になっていた。ヨガ・ブームに便乗したのだろう、某ホテルで健康法のショーをやるのだという。友人の編集者に頼み招待券を手にいれたぼくは、上半身裸で短いパンツだけをはいたアラブ人と中年男のショーを見る。「性エネルギーをたかめて、それをコントロールする」と中年男が説明し、半裸のアラブ人が特異なポーズを取る。それを見てぼくは、鳥みたいな人間(アラブ人)と日本の飼い主という関係をそこに読み解く。ぼくは中年男に会見を求める。「原爆孤児はいま何人生き残っています?」と尋ねる。中年男は、明日、家に来てください、とぼくに答えた。

中年男の住かは道場と事務所から成っていた。道場側の扉から運動をしている青年たちの裸の上半身がきらめくように、ぼくの眼にうつる。事務所で中年男は、ぼくの質問に答えてくれた。4人の青年が亡くなり、今は6人の息子たちと生活している。つまり4人分の生命保険を受け取った、と。ただ、自分あてに脅迫状が届いているとも中年男は言った。最初から白血病になる運命の子どもたちを引き取り、保険を掛け、原爆孤児の人肉を食っているんだと彼を中傷する文書が繰り返し新聞社の封筒で送られてくるのだという。
事務所での中年男との会見の後、ぼくは道場へ向かう。かつての原爆孤児らは筋骨逞しい青年になっていた。半裸の男たちはトレーニングに余念がなかった。さながらそこは古代ローマの体育場だった。 ぼくはまぶしい光に急に面したように瞬きをした。筋肉の盛り上がった硬い身体の青年は、筋肉の部位の説明をぼくが望んでいると察し、そうしてくれた。さらにどうして自分たちがボディビルをしているのかも、ぼくに説明する。

ぼくらはいつも白血病の不安にみまわれているでしょう? だから、すくなくとも、躰の、眼にみえる部分だけでも、要塞みたいに頑丈にして、その不安に対抗しようとしているんですね。 

 


感想その他
最後の、古代ローマの体育場を思わす(と「ぼく」がイメージする)道場のシーンで、これまで読者がさほど意識していなかった語り手=「ぼく」の秘密のようなものが読み解ける、ような構成になっていると思う。「ぼく」はどうして海驢のような中年男にただならぬ興味を覚えるのかはよくわからないままだが、「ぼく」が筋骨逞しい青年たちに、なみなみならぬ関心を抱いているのは、すごくよくわかる。「ふたつの筋肉の板はどちらも乾いているのに、そのあいだから鳩尾にいたる窪みは汗で濡れそぼっている」というように、特別なレーダーでも装備しているかのように屈強な青年たちの肉体を嘆賞の思いで微細に点検する描写が続く。視線だけではなく、汗の匂いや腋臭の匂いまで嬉々として嗅いでいる「ぼく」の様子こそが、読者の興味の対象になる。
そこで、この小説のオチというか「守護神」の意味が効いてくる。澄みわたって輝く眼をした半裸の青年との会話で、「ぼく」は、何度か目にした海驢のような中年男が食べ物を吐いてしまう理由を知ることになる。「ぼく」はそもそも何を疑い何を探っていたのか? 

 

データ

『空の怪物アグイー』(新潮社)所収 

空の怪物アグイー (新潮文庫)

空の怪物アグイー (新潮文庫)